陳独秀は五四時期にはエスペラントの併存をも許容し,国語で文を書くには各省の多数者に通用する言葉を採用すべきとした。文字は廃すべきだが,言語は国家・民族などの観念があるうちは廃止し難いので,過渡期にあっては漢文を廃して漢語を残し,ローマ字で書くべきだと言う主張で,言語に関しては「革命」というより漸進的改革論であった。1927年8月に失脚してからは,漢字のローマ化問題の研究に専念し,私案『中国ピンイン文字草案』を作り上げた。彼は五四白話を「洋八股」「新文言」だとして痛烈に批判した。国語運動に対しても,民衆の生きた言葉ではないと退け,方言をも許容する「普通語」の可能性を論じた。
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