中世では、鎌倉・覚園寺の僧形像群を応永年間の朝祐による制作で、従来研究が遅れてきた鎌倉における希少な北京律関連の肖像彫刻と位置づけた。また、群馬・長楽寺の栄朝禅師坐像を類例稀な鎌倉時代の塑造による肖像彫刻と位置づけた。近世前期では、宮城・瑞巌寺伊達政宗像について、本像が武家肖像としては類例稀な着甲像であり、甲の一部を別材で制作する点に中世的な伝統がみられると考察し、東京・養玉院小関庄次郎夫妻像を俗人夫妻像の好例と位置づけた。近世末期から近代にかけては安本亀八の肖像彫刻に注目し、その作例は洋風彫刻とは異なり、明治後期に至るまで中世以来の伝統技法に則りながら俗人肖像彫刻を制作したことを確認した。
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