明末清初の「山西辺垣図」群および清代後期の「八旗三軍布防系北京図」群を対象として、辺境地帯と首都の防衛システムに関する地理情報を抽出した。主な研究方法は、地図の比較分析と漢籍史料との照合である。山西鎮では、二本の長城の内側に配置された軍事拠点群により重層的な防衛空間と柔軟な拠点間ネットワークが構成されていた。19世紀中葉以降に集中して繰り返し制作された布防系北京図は、多数の八旗関連施設の破損・老朽化が問題になった緊急事態と密接に関わる。これらの防衛地図が頻繁に制作されたことは、国家の統治者が国防上重要なこれらの地域における詳細な軍事防衛情報の更新と伝達を必要としていたことを示唆する。
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