法的な「べき」を巡る近年の哲学的議論はメタ倫理学を応用することによって取り扱われるようになってきている。しかし、それでは取り扱えないのが、裁判官の行う事実認定である。裁判官の事実認定は「法的事実」を作出するとしばしば理解されているが、この見解は終審裁判所の不可謬性などを含意するという難点を有し、法に基づく国家の実力行使の正当性という法の支配の基本的理念と困難な関係を有している。この研究では、我々の社会にとって根本的に重要な法の支配や国家の実力行使の正当性を支えるものは、(願わくは民主的に統制された)裁判官に与えられた「法的事実」を創造する権力なのではなく、法そのものの正当性であることを示した。
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