本年度は,都市銀行とともに債券引受などの投資銀行業務をおこなった信託会社の経営について研究した。信託会社の経営については,戦間期において,金融債や地方債の引受を証券会社とともに積極的におこなったことが明らかにされており,かなりの研究蓄積があるので,本研究は比較的研究の少ない戦時期について研究をおこなった。戦時体制下の三菱・三井・住友・安田の四大信託会社の経営の特徴を,大阪所在の野村・関西・共同・鴻池という中規模の信託会社と比較しつつ明らかにした。主に依拠した史料は,日本銀行金融研究所の所蔵する考査関係の史料(実地調査報告)である。 その結果明らかになったことは以下の通りである。戦間期の信託会社は,銀行が預金利率協定で預金利率に上限があったのに対して,実績配当の建前で高金利の配当をおこなって資金を伸ばしていたのが,金融統制の強化によって利率を抑制された結果,資金の伸び悩みに直面することとなった。それでも信用のある四大信託は,戦時体制期に入っても金銭信託の受託を主たる資金源泉としていたが,大阪所在の中規模信託は,金銭信託が伸び悩み,それに対応するため,1940年まで有価証券信託の受託を拡大した。信託勘定の資産では,有価証券信託の受託が多かった中規模信託で証券の比率が高かったが,四大信託では貸出の比率がより高かった。そのなかでは三菱信託が証券の比率が高かったが,これは慎重な運用姿勢を反映している。三菱信託は貸出のなかでは,当初より手形貸付の比率が高く,電力・電鉄会社への融資の比率が高かった。
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