本研究では、教育雑誌『ひと』を中心とする教育運動の分析を試みた。その際に、教育言説や教育実践の文脈から、この運動の現代史における位置づけや役割についても考察した。本研究によって、『ひと」を中心に、1960年代後半から1990年代における教育界の事績をひとつの系譜として描出することが可能となった。具体的には、教育内容の「現代化」に着目し、戦後の教育運動(社会運動)を教育実践の側面から把握することで、次のような論点を明らかにした。①「現代化」の「その後史」系譜が存在するということ(=「現代化」が、フリースクール運動やオルタナティブ教育などにも接続しているということ)。②従来の戦後教育史の概説書では、こうした系譜が提示されていないということ(=個別の史実が列挙されている傾向にあり、史実の連関については議論されにくい)。③教科教育の教育実践の蓄積が現代まで継続していること(=革新勢力の敗北史や衰退史というわけではなく、今日の教育界にも当時の教育言説や教育実践が影響を及ぼしている)。④民間教育研究団体の内部でも従来指摘されていた以上に教育観や方法論の対立があったこと(=全国教育研究集会での「ライバル視」など/平板な一枚岩の歴史像は描けない)。⑤日本教職員組合には、具体的な教育実践の方法論がないということ(=全国教育研究集会は“会場”であり、“交流の場”ということ=「入れ物」/日本教職員組合に固有の教科教育など存在せず、「教え込み」や「支配」といった通俗的議論が史的分析には通用しない)。⑥一面的にあえて表現すれば、教育界における教育学者の“存在感”のなさがあったこと(=遠山啓や板倉聖宣など、教育学者を揶揄しながら教科教育論や教育評価論を確立した人々がおり、教育学そのもの境界があいまいになりつつ、かつ領域が広がっていった)。
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