研究期間の2年目となる今年度は、ドナウニ公国と呼ばれるワラキアとモルドヴァをめぐる国際関係の変容を考察する上で鍵と考えられる、オスマン・二公国間の宗主・従属関係と、二公国をめぐるロシア・オスマン帝国間の外交関係をさらに明らかにすることを目指した。そのため初年度に引き続き、ルーマニアとトルコでの史料調査・収集を計画していたが、予算の関係上イスタンブルにおいてのみ調査を実施することとなった。イスタンブルでは、総理府オスマン古文書館において史料調査を行い、主にHatt-i humayun分類中の文書と諸外国台帳 (Duvel-i ecnebiye defterleri) 中のいくつかの台帳から、上述の課題に関するオスマン帝国側史料を得ることが出来た。この成果を基に、18世紀後半のオスマン帝国とドナウ二公国間の宗主・従属関係の変化とロシアの係わりについて、現在考察を進めている。また、初年度に行った海外調査の成果と、国内において収集した関連文献に基づき、1774年にロシアとオスマン帝国間で締結されたキュチュク・カイナルジャ条約が、18世紀後半のロシアのバルカン進出に与えた影響と意義について実証的に考察し、今年度その成果を学会発表と論文の形で公表することが出来た。これによって、ドナウ二公国の諸問題がオスマン帝国内の内政問題から国際問題へと変化する過程の一端と、当時ロシアのバルカン進出にとって両公国が占めていた重要性が明らかとなり、当研究課題の初期のプロセスが具体的に明らかとなった。
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