本年度前半は、昨年度のルーマニアとフランスで調査及び収集を行った史料の分析を行い、それらの成果も踏まえて、これまでの研究成果の中間報告として、18世紀のワラキア・モルドヴァ両公国へのロシア・西欧諸国の進出と、それに伴うオスマン中央政府=両公国間の宗主=付庸関係の変容に関する論考を執筆し、『東洋文化』(東京大学東洋文化研究所)に掲載した。その中で、特に1774年以降のロシアの両公国進出が、伝統的なイスタンブルと両公国との関係、すなわちオスマン帝国秩序を大きく揺るがすものであったことを示した。また、本研究の進展の中で明らかになってきた、両公国問題における「黒海」という存在の重要性に関して、『ユーラシア研究』に小論を投稿し、今後目指すべき研究の方向性を示した。 今年度行う予定であった、モスクワのロシア外務省附属外交文書館での調査は、治安の問題と時間的・予算的な制約から実施が困難と判断し、その代わりとして北海道大学附属図書館および同大学附属スラブ研究センター図書館にて、18世紀を中心とするロシア帝国の対オスマン・西欧外交に関する史料を収集した。また2011年3月にはウィーンで1週間程度の調査を行い、オーストリア国立図書館にて、18世紀後半から19世紀初頭にかけてのワラキア・モルドヴァ駐在オーストリア領事の報告集や、オーストリアの東方政策に関する二次史料、さらにはワラキアとモルドヴァに関するオスマン史料集などの文献を入手することが出来た。今後はこれらのロシア側とオーストリア側の史料を分析し、その結果を踏まえて早急に、最終的な研究成果の取りまとめを行う予定である。
|