オスマン帝国の付庸国であるワラキアとモルドヴァには、18世紀前半までオスマン政府の強力な支配が及んでいたが、18世紀後半のロシア、そしてそれに続く西欧諸国のバルカン進出により、両公国はそれらの国々との結びつきを強め始めた。同時に、両公国の諸問題はオスマン帝国とロシア・西欧間の国際問題となり、同問題を通じて、三者は政治外交的諸関係を緊密化させていった。その初期において見られた、諸外国によるオスマン・両公国間の宗主・付庸関係の弛緩の試み、支配者である公と諸外国との接触の増大、などの具体的な過程が本研究により明らかになった。
|