研究課題/領域番号 |
19530676
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研究機関 | 宮城教育大学 |
研究代表者 |
吉村 敏之 宮城教育大学, 附属教育臨床研究センター, 准教授 (80261642)
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研究分担者 |
本間 明信 宮城教育大学, 附属教育臨床研究センター, 教授 (70106748)
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キーワード | 授業研究 / 学習指導法 / 現職教育 / 学力 / 島小学校 / 斎藤喜博 / 玉村小学校 / 芝根小学校 |
研究概要 |
1930年代の群馬県玉村小学校、1940年代の芝根小学校における学習指導法研究で培われた現職教育の思想と方法が、1950年代の島小学校教師集団による授業研究へと継承された事実を明らかにした。3校の実践は、政策の変動に流されず、教師の専門性の根拠として、教室での「授業の創造」に力点が置かれた。3校の授業研究に共通すう特徴は、次の点である。 1. 政策に左右されず、教師の努力が、教室での学習指導法の創造に注がれた。 玉村小学校の研究は、世情が軍国主義に傾く中で進められ、芝根小学校での研究は、戦時の国民学校体制の中で続けられた。敗戦から半年足らずの、1946年2月4日に公開授業研究会を開いた。教員への勤務評定の実施など、国家による教育への管理が強まる中、島小学校では、子どもと教師を解放し、教材の追求のよって可能性を伸ばす授業の組織を持続した。 2. 教育界の流行に乗らず、教室の子どもの事実に即して、学ぶ力をつける方法を創った。 1930年代は「生活教育」、1940年代は「皇国民錬成」のスローガンがもてはやされる中、玉村小学校と芝根小学校では、斎藤喜博を中心に、すべての子どもに読み書き計算の基礎学力を養う実践が継続された。生活経験を重視する戦後新教育から教科の学力向上への転換が叫ばれた時代、島小学校では、文化を継承、創造する「未来につながる学力」を形成した。 3. 教師たちが集団で取り組み、子どもの学習する姿を発見する、授業研究を進めた。 教師たちが集団で授業を見て、子どもの学習の事実について批評した。つまずきや思考の道筋などの具体的な姿をふまえて、可能性を引き出す教材解釈や指導法を、集団で探った。
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