本研究の主要目的は日仏二言語雑誌を発刊し、その雑誌に研究の成果を発表することにあった。 研究代表者(宮崎隆)とクルノーブル第三大学教授クロード・コスト氏との共同主幹の下、日仏二言語雑誌「道行」(Chemin Faisant Revue bilingue franco-japonaise)第1号が、「身体基礎論に向けて」というテーマの下で刊行され、以下の5名の原稿が日仏二言語で掲げられた。ソルボンヌ・パンテオンのカンブシュネル教授は、宮崎を聞き手として対談を発表し、デカルトの『省察』における身体の役割を明確に語った。カーン大学のロワニョン助教授によって、ミエーの作品における身体の分泌作用と文学的表現との重なりが解明された。筑波大学の佐藤準教授はテュラスに隠されたラカンの理論を身体の眼差す働きにおいて明示した。コスト教授は、バルトにおいて身体の発する声と主体性および沈黙との関係を究明した。最後に宮崎によって、表現し眼差し、そして声を発するといった身体的諸行為の基層に、そうした行為を産み出している身体の運動性がベルクソン哲学に基づいて定位された。そうした運動性は、ほかならぬ運動の本質であるが、未だ行為が遂行されておらず、かつ将に遂行せんとしている身構えの状態として身体の内面に宿りかつ当の内面において経験されている。生ける時間・持続は、行為の遂行に先立って、それゆえ対象との隔たりを産み出しつつ、身体の内面で作動している。したがって以下の結論を得た。こうした内面の運動性とその経験が、近代という時代に支配的である隔たりを介した諸行為(俵現し眼差し、そして声を発するという行為)やそれに支えられた認識(科学的認識や文化的認識)とは根本的に異なり、かつ、両者を可能にしている。
|