1 小倉戦争(第二次長州戦争)について、小倉藩の記録のほか、熊本・鹿児島・萩藩などの記録を調査・参照しつつ、小倉戦争における小倉藩や他藩の動向について、特に小倉城自焼前後を中心に詳細に検討した。その際、小倉戦争という出来事(体験や情報)がどのように記録され、記憶されたかという問題に主眼を置いた。それは、幕末維新期の動乱・戦争がどのように記録され、記憶されたか、さらに、人びとの歴史意識の中でどのような意味を持ったか考えるうえで好個の事例研究と言える。 2 幕末の小倉城下町図のデータベース化と書き起こし図の作成を行い、住民構成と居住分布について明らかにした。それによって、小倉城下町の社会構造について検討するとともに、小倉城の自焼と藩・藩士の離脱による城下町の破壊や、明治維新後の変化について明らかにするうえでも不可欠な基礎的作業を行うことができた。それは、城下町を母胎とする近代都市において、城下町としての歴史がどのような意味を持ち、都市住民のアイデンティティにどのような影響を与えたのか考えるうえで興味深い事例研究と言える。 3 1854(嘉永7)年にペリー率いる米国艦隊が再来航した際、小倉藩は松代藩(真田家)とともに横浜の警衛を担当した。そこで、真田家文書のほか、長野県内所在の古文書資料から、ペリー再来航関係資料の調査・収集を行い、小倉藩の記録と対照しつつ、ペリー再来航の際の対応がどのようなものであったか、その一端を具体的に明らかにした。このときの経験が小倉藩の藩政や藩士の意識、その後(幕末維新期)の動向にどのような意味を持ったか考えるうえで不可欠な基礎的作業である。
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