本研究の目的は、「文化」に関わる知が(再)生産・消費される場としての教育に焦点を当て、日米の言語教育(とりわけ、日本語教育)のなかで、教科書や教員が(異)文化を本質化・規範化・標準化が起こり、さらに、それをコミュニケーション・スキルに還元して、「(異)文化」を(再)生産することに関する考察を深めることにある。 第1の研究目的は、言語教育政策と言語教育における文化本質主義の(再)生産について考察する。主として、(1)日米の言語教育政策の内容分析(言語教育政策において、文化・コミュニケーションがどのように論じられているか?);(2)日米の教科書の内容分析(文化とコミュニケーション・スキルがどのように表象されているか<文化の規範化>への着目;(3)異文化間コミュニケーション研究におけるコミュニケーション・スキルの記述について。また、その記述が、日米の日本語教育でどのように消費、再生産、分配されているかである。 第2の研究目的は、文化とコミュニケーションに関わる知の(再)生産と権力の関わりを考察することである。第1の考察は必然的に、知と権力に関わる考察を必要とする。具体的には、教育政策、文化仲介者(教員)・仲介媒体(教科書)、学生との間に相互に働く権力構造・作用について、文化とコミュニケーションに関わる知の文脈で考察することである。主として、(1)文化に関わる考察と(2)コミュニケーションに関わる考察に分け、(1)に関しては、静態的、本質的文化の捉えられ方は挑戦を受けてきた一方で、政策や教育において、このような概念把握が現実に行われている。ここに関わる権力作用・構造について考察を行なう。(2)のコミュニケーションに関しては、主たる関心は、なぜ、コミュニケーションがコミュニケーション・スキルという技術的側面にのみ還元され、コミュニケーターを情報交換モデルに基づく受動的存在と位置づけるのか、また、そう位置づけられることの意味を教育・社会・国家との権力作用・構造の関わりとはどのようなものなのかを考察する。
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