研究代表者が今回手掛けた研究目標は,ペラギウス派が異端などではなかったとすれば、なぜ彼らはアウグスティヌスを始めとする北アフリカ陣営により異端として激しく糾弾され,西方教会において排斥されるに至ったのか,またさらに、ペラギウス派神学が東方神学内の異なる伝承からの影響を多数併存させているのはなぜかとの重要課題について,相互影響・発達史的方法論を新たに導入することにより実証的に解明することであった。今回、この新たに提起した相互影響・発達史的方法論は、当初は異端視されていなかった神学思想が、いかなる経緯により異端思想として断罪されるようになったのかを探求するには、最適の方法論であることが明らかとなった。すなわち、ペラギウス派も、また彼らを異端として断罪したアウグスティヌス陣営も、当初は数ある古代キリスト教思想の一分派に過ぎなかったものが、相手を敵対者として排斥しようとのメカニズムが働いた結果、双方の思想がより偏った神学思想へと段階的に先鋭化していったのである。その際、両陣営は共に、既に異端として排斥ないし疑視されていたマニ教やオリゲネス主義等の既存思想を避けるべく、他の神学思想を取り込んでいくことにより、各々が全く対照的な神学思想へとそれぞれ先鋭化される結果となったのである。ペラギウスの場合は、エヴァグリオスやバシレイオスの禁欲的修道理念、そして最終的にはネストリオス派の自然観へとシフトしていった。他方、アウグスティヌス陣営は、新プラトン派の中でも自然本性に対して極めて否定的評価を下していた北アフリカの霊魂伝遺説を経て、最終的には罪責の遺伝的伝播を説いた原罪思想へとより先鋭化させていったのである。同様の相互影響・発達史的特徴は、ドナトゥス派論争からペラギウス論争へと移行する過程にも明らかに認められ、この文脈では国家権力との関係性についてもより対照的な先鋭化の傾向が確認された。
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