研究課題/領域番号 |
19K00142
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研究機関 | 中部大学 |
研究代表者 |
大地 宏子 中部大学, 現代教育学部, 准教授 (80413160)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2022-03-31
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キーワード | 工場音楽 / 富岡製糸場 / 新民謡 / 小林愛雄 / 北原白秋 |
研究実績の概要 |
2019年度は弘田龍太郎が童謡の作曲を開始した第二期の、とりわけ工場音楽との関わりについて重点的に調査した。赤い鳥運動をはじめ、さまざまな社会的運動に広く関わった弘田の啓蒙活動の一つに工場音楽がある。レクリエーションによる労資協調を目的に1910年代後半から始まった工場音楽は、十五年戦争に入った1930年代末から総動員体制の一環として盛んになった「厚生音楽」の前身と言うべきもので、弘田をはじめ当時のブルジョワ的教養主義者らによって推し進められた事業であった。工場で働く労働者(工人)や銃後の守りとなる工女たちに教養(芸術)を授けて教化しようと、弘田らは卑猥な俗謡に代わる工場歌や歌劇を創作し指導にあたった。なかでも注目されるのが、富岡製糸場(原富岡製糸所)の創立50周年記念行事において、弘田は盟友である北原白秋とともに工場歌を創作したことである。明治以来、製糸業は日本の最重要産業であり、かつての官営模範工場で挙行された祝賀記念会の音楽監督の役割を、当時東京音楽学校教授の職にあった弘田が務めたことは、これが当時の日本にとって非常に重要な国家行事であったことを示唆している。北原白秋記念館、および『富岡製糸場誌』に所収されている種々の工場歌を収集調査し、歌詞と楽想の両面を分析した結果、それらは民謡調で和洋折衷的な楽曲様式をめざした新民謡的な曲と見ることができ、工場音楽と新民謡運動は互いに深い関わりを持っていたことが明らかとなった。なお、原富岡製糸所と弘田との接点について、同製糸所を譲り受けた実業家 原富太郎が築いた三渓園(横浜市)参事への取材によると、富太郎は短歌や和洋の音楽教育にも熱心で、原家には作詞家の大和田健樹や東京音楽学校教授の橘絲重などが教師として出入りしており、大和田が当時の東京音楽学校学長に工場歌の作曲家を依頼したところ、弘田が紹介された可能性が考えられるという。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
1: 当初の計画以上に進展している
理由
上記の研究と並行し、弘田の作品目録の整理をほぼ終えることができた。弘田は童謡をはじめ膨大な楽曲作品を遺しているが、著書も相当数存在しており、国会図書館をはじめ(児童雑誌のバックナンバーを全国で最も多く所蔵している)大阪国際児童文学館、古書店アーカイブなど点在する彼の作品を網羅的に収集した。
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今後の研究の推進方策 |
2020年度は弘田の音楽様式がどのような社会層を意識していたのかという社会的文化的背景を解明すべく、山の手「成城」文化に着目し、その接合点を研究する。 大正童謡の主たる受容層は、いわゆる都市郊外に住む新興ブルジョワであり、私鉄沿いに開発された新興住宅地に一戸建てを構えた彼らは、ヨーロッパ的教養主義に憧れ、子供の教育に熱心に取り組んだ。成城小学校や玉川学園など、当時ドイツで流行していた新自由教育が真っ先に導入されたのも、東京郊外の私鉄沿線においてであった。弘田が1947年に成城の地に創設した、建築家 丹下健三の設計による「ゆかり文化幼稚園」はその結実といえよう。すなわち、弘田の折衷的で堅実な様式は、戦後に至るまで日本の中流階級の意識を規定することとなる「よき家庭のためのよき音楽」の原型であり、新中間層が抱く民衆的大衆的なものへの忌避感、西欧的教養への素朴な憧れ、プチブル的な中庸のエートスなどに訴えたのではないかと推測される。この仮説を検証するのが本年度の研究目的である。
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次年度使用額が生じた理由 |
国会図書館への調査を予定していたが、新型コロナ感染により図書館が閉館になり、出張旅費を消化できなかったため、図書館が正常に開館された後、2020年度に持ち越し調査を行う。
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