本研究には二つの目的を設定した。一つは総督府文書を基礎史料として、学校教育と社会教育において展開された台湾における日本語教育の実相を明らかにすることであり、もう一つは収集した教育行政に関する総督府文書史料をデータベース化し、今後の日本語教育史研究に資するものとして公開することであった。 一つ目の目的は残念ながら完成することができなかった。もともとの計画では台湾総督府文書と各学校の植民地時代の学校沿革誌などの資料から、渡台初期には言語教育の側面が強かった教育が教育制度が整うに従って「国民性の涵養」の側面が強くなり、その目的が「忠良ナル」国民を作ることになっていくその過程を明らかにするものであったが、コロナ禍の影響で3年間は渡航することができず、資料を得ることができなかった。1年延長後に資料調査を行ったが、その採集はごく一部にすぎない。現在採集済みの資料からは教育に関心の深い台湾の人々の貢献や終戦の当日に日本語教育から母語である台湾語での教育に切り替えることを決意した校長の記録などを確認できているが、調査先で新資料が発見されることもあり進展の可能性はあるものの全体像を描くには至っていない。 そのような中この目的を達成するために日本統治時代に一貫して実行された一連の衛生観念の普及についての全体の流れからテーマに迫ろうとし、成果を発表した。また、教科書の仮名遣いの変遷から台湾の人々が教育に求めるものを探る試みも行った。 二つ目の教育行政に関する総督府文書史料のデータベース化については明治期初期の3つの教科書の検定資料をまとめ、一部をすでに中京大学社会科学研究所の2020年度に開設した「社研アーカイブ」(https://www.chukyo-u.ac.jp/research/irss/archive.html)において公開している。この他教育者履歴データベースなどの計画も進めている。
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