2023年度の研究計画では、本研究計画全体の成果を集約し、新たな史料調査の成果を加えて、モンゴル人統一独立国家建設と軍事・諜報活動の関係という観点から、1920年代のモンゴルの政治情勢を検討した。その結果、以下の成果を得た。なお、国際モンゴル学者会議第12回大会でこの研究成果を発表した。 モンゴル人民政府(以下「人民政府」とする)がソヴィエト・ロシアの支援下に1921年7月に成立した後、反ソ・反人民政府の活動を、王公、高位僧をはじめとするモンゴル人が展開した。これらの活動は、ロシア反ボリシェヴィキ派(G.M.セミョーノフ等)、日本、張作霖の各勢力と結びつき、地域・国家の枠を越えて広く展開された。特にセミョーノフは、反ソ・反人民政府活動を行うモンゴル人と手を組み、東北アジアにおける反ボリシェヴィキ闘争の継続と拡大を図った。 モンゴル人民政府、ソヴィエト・ロシアと反ソ・反人民政府活動の衝突の場であり、また反ソ・反人民政府のモンゴル人が結合し、ロシア反ボリシェヴィキ派、日本、張作霖と関係を樹立した場が、モンゴル東部地域(外モンゴル東部、内モンゴル東部、フルンボイル)であった。このため、人民政府、ソヴィエト・ロシアは、軍事・諜報活動を通じたモンゴル人統一独立国家建設の活動の一環として、モンゴル東部地域に影響力を拡大して現地モンゴル人を自分達の側に引きつける活動を、優先的に推進しようとした。 軍事・諜報活動の分析に主眼を置く本研究計画により、ロシア内戦・干渉戦争以降の東北アジアの混乱と、民族独立国家を追求するモンゴル人の多様な活動が結合するモンゴル東部地域の政治的重要性がはじめて解明された。今後の研究計画では、モンゴル人の反ソ・反人民政府ネットワークの研究を進め、モンゴル人、ロシア反ボリシェヴィキ派、日本、張作霖の関係を分析し、戦間期の東北アジアの政治情勢を解明することになる。
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