研究課題/領域番号 |
19K01205
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研究機関 | 慶應義塾大学 |
研究代表者 |
北中 淳子 慶應義塾大学, 文学部(三田), 教授 (20383945)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2022-03-31
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キーワード | 地域精神医療 / 医療人類学 / 自己のケア / 監視 / 新健康主義 / 共感 / うつ病 / 認知症 |
研究実績の概要 |
本研究では、認知症に特に焦点を当てた地域精神医療の人類学的研究として出発したが、コロナ下で、フィールドワークから文献調査にシフトせざるをえなかったこともあり、現在ではより広く、精神医学知がコミュニティに広がっていく中で、人々の意識をどのように変容しつつあるのかを問う人類学的探究として展開している。特に、人々が自ら心と脳の健康を観察し、改善しようとする動きを「新健康主義」と名付け、果たしてそれが救いをもたらすのか、それともさらなる生きづらさを生み出すのかを考察することを目的としている。新健康主義を通して考えてみたいのは、精神医学の言葉が、自己への振り返りとケア――そして異なる他者の理解と共感――をどのように可能にするのかということだ。特に、個人の健康データは、クラウドに保存され、他人とも共有されるコモディティ(商品)となる中で、「計量化された自己(quantified selves)」と呼ばれる新たな運動まで生み出している。日々身体を記録するセルフ・トラッカーの台頭は、絶え間ない自己制御をおこなう個人の集合体としてのスマートウェルネスシティ構想とも相まって、二一世紀の健康ユートピア運動としても語られてきたが、これが地域精神医療の実践でどのように実践され得るのかが問われている。特にコロナ禍においては、健康が単なる個人の集合体を超えた、社会的・政治的産物である事実があらためて浮き彫りになった。健康の不平等が日々明らかになる中で、どのようなデータの収集・解釈・利用の在り方と、技術的政治的ネットワークの構築が、真に配慮的な健康社会をもたらし得るのかを、文献資料と主としてzoomでのフィールドワークから考察を行い、今年度は論文7本、発表13本、書籍1冊に成果をまとめた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
2020年度は、コロナの影響下臨床現場での新たな民族誌的調査が行えないことから、研究の方向性をシフトさせた。主として①zoomを通じた医師のインタビュー、②文献データ分析と③国内外での研究発表・論文執筆を中心に活動を行い国内講演10、海外招聘講演3、日本語論文5本、英語論文2本、英語エッセイ1本にまとめた。そこで浮かび上がってきたテーマA.データ医療、B.精神医学的「共感」の構造、C.地域精神医療における精神と身体の関係の三つに焦点をあてて研究を進めた。A.データ医療に関しては、戦後地域医療の文脈でどのようにデータを用いた健康の観察・監視が可能になったのかを「生き生きとしたデータ」論文に、さらにSNSを始めとするウェブデータを用いた精神医学的観察・監視医療の台頭を「絶望のデータベース化」にまとめた。zoom での国際ワークショップを開催し、この領域を先導する研究者たちと議論した。B.認知症のみならずうつ病や発達障害の知識が一般に広がり、コミュニティでの精神医学的介入・自己のケアが可能になる中で、心の病に対するどのような「共感」が可能になっているのかを探った。その結果を、アメリカ医療人類学会機関誌に論文発表し、さらにUCバークレー校でのワークショップ(招聘)で講演した。日本語では「認知症のイメージを耕す」「共感の技としての精神医療」論文として投稿した。C.免疫学と精神医学の関係についてエジンバラ大学ワークショップに招聘され、認知症の心身問題について現在新たに調査・執筆中である。地域精神医療研究からも発想を得たうつ病に関する研究成果をCambridge Encyclopedia of Anthropology うつ病の項目として発表し、さらにアジアにおけるうつ病に関しての共著論文がThe Lancetに受理され、これまでの研究成果のまとめとして現在日本語の本を執筆中である。
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今後の研究の推進方策 |
最終年度は、コロナの状況をみながら、可能であれば地域精神医療に関するフィールドワークを行いたいと考えている。ただ、それが難しい状況であっても文献調査を中心とした現在のスタイルで、成果をまとめたいと考えている。特に、今年度はイギリス・ウェルカム財団の4都市比較でメンタルヘルスと文化とアートの関係を探るプロジェクトで、東京での会議を企画していることもあり、現在より広くコミュニティ・メンタルヘルスにおけるケアの可能性について識者と議論を重ねているところでもある。この成果とあわせ、またGlobal Social Medicine グループとの活動で、世界中でcommunity psychiatry にかかわっている医師や研究者と現在交流を進めており、日本における地域精神医療の歴史や実践を、より広い文脈から比較文化的に考察することができればと考えている。その成果は、すでに受理されたランセット論文等のみならず、現在依頼されているケンブリッジ人類学辞典での「医療人類学」の項目執筆にも反映させる予定であり、さらに今年度中に執筆を終わらせる予定の単著本でも、より考察を深めていければと考えている。したがって、フィールドワークに移行できるならば、無論その調査開始を願っているが、たとえそれが叶わずとも文献調査・分析で十分な成果を出せると確信している。
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次年度使用額が生じた理由 |
コロナ下でフィールドワーク調査ができなかったこと、また海外から招聘するはずであった学者の渡航が難しくなったこと、国際学会が中止になったことがあげられる。コロナの状況をみて、このいくつかは今年度実施する予定である。
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