当初認知症医療現場でのフィールドワークを主軸として構想された本研究であったが、コロナ禍で研究枠組みを再考し、認知症医療の観察を通じて浮かび上がってきた「ライフサイクルの精神医療化」というより広範な現象を研究の対象に据え、研究を再開した。その過程で「新健康主義」と呼べる、身体のみならず精神や脳の健康に常に注意を払うことを促す健康文化の台頭を論じるに至った。この文化は、脳を身体と同じように、常にモニター/ケアすることで、老化を防ぎ、脳を鍛え、精神的健康を保とうとするものである。このような文化は、認知症のみならず、発達障害やうつ病をめぐる脳言説からも観察できる。さらに、このような新健康主義は日本のみならず、グローバルメンタルヘルス運動の発展により世界中で推進されており、本研究ではこの特異な文化が臨床現場や当事者運動を通じてどのようにローカルな展開をみせているかを、国際比較的視点から探究した。従来の社会科学的研究では脳の健康を謳う新たな風潮に関しては批判的論点が中心的だったが、特に認知症や発達障害の当事者運動の連携を見ることで、「脳神経科学的共感」とでも呼べる新たな共感の形が台頭していることを明らかにした。一連の研究成果は医学で世界的権威のあるLancet誌掲載論文2本、米国医療人類学会機関誌論文1本、精神医学疫学の編著1本、さらにケンブリッジ大学人類学百科事典1本を含めた英語論文6本と、精神神経学雑誌等を含めた主として医学雑誌での日本語論文20本、エジンバラ大学、UCバークレーを始めとした国際講演15本に結実している。また日本の当事者研究については精神神経学会パラダイムシフト調査班や学術会議でも報告し、当事者視点から医療を再構築するための視点に結びついた。
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