本研究ではフィレンツェにおける後期ゴシック建築を詳細に調査することで、フィレンツェにおけるゴシックの受容は、ゴシック様式と伝統様式との意図的混淆であることを明確にすることが論点である。中世フランス・モダニズムの建築言語とその構成法は、中世イタリア建築は必ずしも敬虔な歴史主義の中にあったわけではなく、あくまでも折衷的なアプローチによって、部分的にしかも合目的に受け入れられたと考えられる。中世イタリアでは為政者の統一的趣向によらずに、他の都市国家にはない建築が要求された。中世フランス・モダニズムの純粋主義と方法的には対極にあった。その状況をフィレンツェに絞って解明した。
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