本研究は、表絵師、及び藩絵師について考察することで、江戸狩野派の組織構造について論じることを目標とした。具体的には、出羽久保田藩佐竹家(秋田藩)の藩絵師であった狩野秀水家の御子孫が所蔵する粉本群(狩野秀水家資料)、及び狩野派内でも有力な家系であった表絵師の山下狩野家の分家である深川水場狩野家に養子入りした狩野了承(明和5年―弘化3年〔1768―1846〕)に関して作品調査や研究を実施した。 狩野秀水家は表絵師である浅草猿屋町代地分家の狩野洞琳波信(延宝7年―宝暦4年〔1679―1754〕)の次男である秀水尊信の名跡を継いだ狩野秀水求信(安永2年―天保8年〔1773- 1837〕)に始まる家系である。狩野秀水家資料は、約600点の粉本類からなる。この制作者は秀水求信や、その子孫及び周辺絵師と思われる。この粉本類の調査及びデータ整理を行い、その概要について論じた。狩野秀水家資料は、一つの家で代々伝わってきた粉本群という点で非常に重要な資料である。本研究成果が、今後の狩野派や藩絵師等についての研究において、基礎資料として広く活用される事を期待したい。 狩野了承は、徳川家斉の姫君の御用を多く務めたことが知られている。本研究では、複数点の狩野了承作品の調査を行い、その画風と画業について考察した論考を発表した。了承は狩野派でありながらやまと絵風の画が多く知られている。本研究では、了承がやまと絵風の画をよくした事を、絵師自身の資質のみならず、了承が仕えた徳川家斉の子女の多さとの関連から論じた。
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