本研究は、東アジア仏教的視座から中世日本葬礼史とその文化の再検討を行うものである。このため、同時代の中国・宋代や韓国・高麗時代における仏教の葬送・追善儀礼に関する文物資料を調査・収集して、その実態解明を行い、比較資料を提示することを主目的とする。 最終年度は、韓国高麗時代の石塔(鳳巖寺・澄曉大師塔・法興寺石墳・中央博石塔群・東国大宝篋印石塔など)および韓国最古の祠堂(浮石寺)を中心とした調査を行い、南宋・鎌倉時代に共通する無縫塔および追善空間の比較資料を得た。さらに、中世における宋様式寺院の伝播事例として「東妙寺並妙法寺絵図」(佐賀・東妙寺蔵)の調査・撮影を行った。また国際研究会での発表(Southern Song Buddhism as Seen by Sennyu-ji Monks)および、東アジア独自の文化である「忌日」を視点に涅槃会の再解釈(涅槃会の変遷と涅槃図)、泉涌寺流寺院生活や仏事儀礼・葬送で行われた喫茶・茶礼の詳細な事例(鎌倉時代における泉涌寺流の喫茶・茶礼・供茶のひろがり)を公表した。 これまで、中世日本葬礼研究は鎌倉時代の禅宗・禅僧(その源流たる宋代禅文化)による影響と論じられてきた。そのようななかで5カ年におよぶ本研究は、禅僧と同時代に入宋して宋代戒律・天台を実践する泉涌寺僧および泉涌寺という「場」を事例として、さらには泉涌寺流の宋式儀礼や生活文化が他宗や諸寺院に受容されていく諸様態を実証的に論じることで、禅宗のみならず律宗・教宗にも共有されていた「宋時代の江南地域仏教」の影響であることを論証するものであり、従来の通説的研究の修正を促すものである。くわえて、かかる研究成果は、転じて、不明点が多い宋代中国およびその影響下にある東アジア諸国における仏教の実態解明の一助となる研究視座と考える。
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