本研究では、大英帝国とカトリック教会によって二重に支配されたアイルランド、ダブリンを舞台にしたジェイムズ・ジョイスの複数の作品に見られる様々な亡霊表象を考察した。その結果、それらの〈亡霊〉には、アイルランドの「悪夢としての歴史」が書き込まれており、その亡霊と対峙する各作品の主人公たちの抵抗には、作者の伝記的要素が多分に含まれているため、トラウマ的経験の克服しようとする個人史の試みは、アイルランド人たちが支配者に対して抵抗を試みる現在進行形の国史としてアナロジカルに解釈できることが明らかになった。特に2022年に出版百周年を迎えた『ユリシーズ』(1922)には、カトリック・アイリッシュのスティーヴンとユダヤ系アイリッシュのブルームがそれぞれ排外主義的なナショナリズムに陥ることの危険を回避する様子が描かれており、共に民族離散(ディアスポラ)を経験したアイルランドとユダヤの歴史が重ねられつつ、差異化されることで、来るべき国家としてのアイルランドの行き先をジョイスは暗示している、ということを分析した。 とりわけ22年度は、『ユリシーズ』100周年を記念するイベントとして、2月2日より「22Ulysses―ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』への招待」という全22回のオンラインイベントの発起人の一人として、運営に携わった。日本ジェイムズ・ジョイス協会の研究者を中心に各挿話についての講演を行ってもらい、私自身も第1回、第2回、第6回、第21回、第22回に登壇した。このイベントを通じ、広く一般読者に『ユリシーズ』の魅力を伝えることに尽力したが(各回平均して150名以上の参加者があった)、これは研究成果を国民に還元するアウトリーチ活動のひとつとして一定の貢献ができたと考えられる。
|