本年度に関しては、戦後に『土佐日記』を英訳したサージェント、マイナー、マッカラによる英訳を分析・比較することを研究の中心に据えた。三者三様の翻訳の傾向と彼らの研究者としての業績の精査から、それぞれの訳者がどのように日記文学に向き合い、またどのような読者を想定して翻訳を進めたのかを考察し、論文にまとめた。論文は複数あり、国際共著も含まれるが、年度内の刊行は叶わなかった。 これと並行して、戦前の『土佐日記』の英訳が同時代の日本人にどのように受け取られていたのかという点についても、前年度から引き続き調査した。その結果、例えば藤岡作太郎のように多くの功績を上げた明治の国文学者が、初めて『土佐日記』を英語圏に紹介したアストンを「師」と呼ぶほどに慕っていたことなどが明らかになり、日本においては当時すでに国際的な日本研究の萌芽があったことがわかった。この国際性は、おそらく二十世紀の二度の大戦によっていったんは断絶してしまったものと思われるが、この点も含めて、『土佐日記』の多言語による受容とその相関性を、今後も継続的な研究課題としたい。 研究期間の全体を振り返ると、本研究課題は延長を経て4年度にわたり実施したが、上述の諸点に加えて、『土佐日記』の英訳の歴史をあとづけられたこと、なかでもハリスによる『土佐日記』の初訳が通説よりも9年ほど早い1882年であったことを初めて明確に指摘するなど、具体的な成果をあげられたことは幸いであった。
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