紙質文化財の顕著な劣化現象のひとつに、金属イオンによる紙の「焼け」がある。例えば絵画などの色材由来の金属イオンが紙の主成分セルロースの酸化劣化を促進する現象である。日本の文化財修理処置の現場では、「焼け」に効果的な処置方法が見出されておらず、水による洗浄のみを行っている。本研究では、紙の劣化の原因物質である金属イオンを、植物繊維由来のTEMPO酸化セルロースナノファイバー(TOCN)のゲルにより捕獲し、文化財資料に金属イオンを残さない洗浄処理を検討することを目的とする。 本年度は、これまでに加速劣化により焼けの要因となる金属イオンが存在する模擬劣化紙試料を作製しており、これにゲル洗浄処置方法の具体的な検討を行った。金属イオンとしては、顔料の緑青顔料Cu(CO3)・Cu(OH)2および群青顔料2CuCO3・Cu(OH)2由来のCuイオンを想定し、これの除去を試みた。一方、TOCNの調製では、昨年に引き続き、靭皮繊維である楮を用いた場合の、TEMPO酸化を行ったが、その進行を確認できなかった。そこで、市販の木材パルプ由来とされる繊維にTEMPO酸化処理を行い調整されたゲルを使用する方向に切り替え、数種のゲルを購入した。洗浄に用いるゲルとしての各種特性を確認し、pHが5以下のものは除き、これらを用いて模擬劣化紙資料の洗浄処置を試みた。処置前後の紙資料についてEDXにより元素分析を行った結果、紙資料中のCu成分が、ゲルの洗浄前後で、大きく減少する傾向がみられた。しかし、模擬劣化試料では、顔料の定着が弱まり、洗浄前後において顔料の移動の可能性も否定できない。科学的にはCuイオンの捕獲ができたことは明らかであるが、処置の方法として、顔料の移動を防ぐ方法を検討する余地がある。
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