本年度は、調査先の博物館等の都合により三味線・胡弓の調査は次年度以降に送り、能管と笙にテーマをしぼって、調査を行った。能管については永青文庫、岩国市吉川史料館、下関市忌宮神社が所蔵する能管についてX線透過撮影を中心とする調査を行った。永青文庫は6管能管を所蔵しており、中には竹材が古びている管もあったが、いずれも典型的な能管の製作方法によることが判明した。忌宮神社の能管は、初代藩主毛利秀元と11代藩主元義の愛用と伝えられているがこちらも典型的な工法であった。一方、吉川史料館の能管は初代藩主吉川広家愛用と伝えられているが、従来知られていない別の工法によることが判明した。桃山時代には複数の工法が並行していたことが確認できた。今まで、龍笛と外見が近いことから、能管は龍笛の修理から派生したという説が通行していたが、新たな工法の発見によって、通説を考え直す必要がでてきた、ということで、今回の発見の意義は大きい。 「信貴山阿舎利来尊残竹以作」と針書きのある笙の調査を依頼されたことを浮け、計画外ではあったが、彦根城博物館所蔵の笙の調査を行って比較を試みた。彦根城博物館の頼尊作とされる笙はいずれも「頼尊・阿闍梨」と針書きしており、竹材にはかなりの劣化が認められた。以前調査を行った三の丸尚蔵館の笙も同様であったことから、新出の笙は頼尊作の可能性が低いと判断した。こうした誤謬は、江戸時代の儒医橘南谿の随筆「北窓瑣談」の記事が雅楽愛好家、古美術収集家に流布したことに起因すると考えられる。これを契機に、針書きの信憑性についてもさらに調査を行いたい。
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