日本における木製櫛の系譜について検証を行うため、「製作技術」と「用材選択」を軸として、特に横櫛出現期と考えられる古墳時代前期における製作技術の発達過程と用材選択の変化とに有機的な関係を有する可能性を検証してきた。今年度は、昨年に引き続き、朝鮮半島における出土事例との検証を行うために慶尚南道および慶尚北道に所在する遺跡より出土した木製櫛について実見、観察を行うとともにマイクロースコープを用いて樹種の観察も行った。調査を行った主な遺跡は次の通りである。昌原城山貝塚(初期鉄器時代)、咸安城山山城(三国時代)、慶山林堂洞遺跡(三国時代)、慶州月城核子(統一新羅)など。本調査を通じて、三国時代の資料中に、日本における出現期の横櫛に類似する資料を新たに確認することができたことは成果のひとつである。また、木製櫛の形態および製作技術の系譜を辿るために中国湖南省博物館の協力を得て、長沙楚墓および馬王堆一号、二号、三号漢墓より出土した木製及び角製櫛について調査を行った。その結果、楚墓より出土した櫛歯は研磨によって整えられている様子や、漢墓より出土した櫛は楚墓以上に歯の作り出しが精緻となり整ったものとなることなどを確認した。さらにマイクロスコープの観察では広葉樹散孔材を用いた事例を確認することができた。以上、朝鮮半島および中国における資料調査の結果、日本では古墳時代前期以降に出現すると思われる挽櫛が中国ではすでに前漢時代には確実に存在している点、朝鮮半島では遅くとも三国時代には見られる点を確認することができた。特に今回の調査で実見した朝鮮半島の資料中には日本の初現期の横櫛に形態が類似したものがあり、系譜を考える上で興味深い結果を得ることができた。
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