本研究では、プリオン病の機序解明に向けた基礎研究として、クプリゾンおよびプリオンタンパクの神経変性作用の解明に取り組んだ。(1)クプリゾンを経口投与したマウスは数週間の暴露後にプリオン病類似の急性脱随が進行するため、プリオン病の発症機構に対して相似な生化学的モデル系として利用される。近年、クプリゾン誘発脱随の作用機序として、金属イオンとの相互作用が注目されている。例えば、銅イオンをキレートしたクプリゾンは、ラジカル種産生の酸化還元反応を触媒することが報告されている。本研究では、クプリゾン・銅イオン複合体の量子化学計算を行い、酸化還元反応性を解析した。通常、二価銅イオンの酸化電位は低い。一方、クプリゾンは高原子価の三価銅イオン状態を安定化することを明らかにした。クプリゾン・銅イオン複合体は、還元的触媒として過酸化水素と反応し、細胞障害を引き起こすヒドロキシラジカル種を生成することで、中枢神経細胞に対して変性作用を発現すると考えられる。(2)プリオンタンパクは窒素末端領域に複数の銅結合部位を含み、機能発現に金属イオンの生体作用が中心的役割を担うと考えられる。本研究では、プリオンタンパク・銅イオン複合体を対象として量子化学計算を行い、金属結合部位の構造と性質を解析した。酸化還元反応を調べた結果、窒素末端側のオクタリピート部位は還元電位が高い、炭素末端側の非オクタリピート部位は酸化電位が高いことを明らかにした。この場合、非オクタリピート部位はラジカル種を産生するフェントン反応を触媒する可能性がある。以上の結果から、プリオンタンパクの構造異常化に伴う金属配位環境の変化が、プリオンタンパクの機能喪失・毒性獲得の成因と考えられる。分子論的観点から神経変性の機序解明を目指す本研究は、プリオン病に対して総合的見地からの新たな展望を与え、予防・治療法開発の発展を促すことが期待される。
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