1935年に設立された日本医学研究会に結集したのは、生理学者、臨床医学者、漢方医学者の集団であった。その求心力は、次の3つの考えであった。往復運動体としての「学と術」、生理学と漢方医術の共通性としての「生命の全機性」、西洋医学と東洋医術の統一体としての日本医学。日本主義的医学運動の参加した生理学者の拠点は東京帝国大学と東京慈恵会医科大学であった。彼らは1923年に始まった慶應大学と京都帝国大学の神経生理学論争において両者と距離を置き、東京帝大、慈恵医大、京城帝大は、「悉無律」自体を疑念視する「第三極」の立場を形成した。ただし、京城帝大は実験と科学的推論を重視する「科学主義」の立場を堅持した。
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