今年度はロバート・グリーンのノリッジ及びケンブリッジにおける活動の痕跡を探し、同時に回心体験物語『ロバート・グリーンの改悛』(1592年出版)の分析を昨年に引き続き行った。それによって以下の点が明らかとなった。 (1) グリーンは16 世紀文化に浸透していた回心体験物語を用いながら、故郷ノリッジのピューリタン共同体に復位した罪人として自分自身を成型し、出版戦略的に有利な立ち位置を確立しようとした。その際、彼がナラティヴに積極的に取り入れたのが、ノリッジのピューリタンに広く受け入れられていた教義と、ノリッジの聖アンドリューズ教会の説教者ジョン・モアの説教である。それらを体験談に組み込みながら、彼は自らの最後の劇的回心を描き、読者に向けて彼の「現実」を創り出そうとしている。 (2)グリーンのジョン・モアをはじめとするピューリタンとの関係を裏付ける資料は、ノリッジ市のノーフォーク・レコード・オフィスに所蔵されたノリッジの慈善院関係資料の中に見出される。モアの教会に属しており、慈善院の運営委員をしていたピューリタン有力者がグリーンのケンブリッジ進学に際して奨学金を給付していたのである。これによって、彼が回心体験物語においてノリッジのピューリタン共同体に復位した罪人として自分自身を描こうとした理由が推察される。つまり、自分自身の劇的回心にリアリズムを持たせること、そして自らをケンブリッジへと送りだしてくれた故郷の篤志家たち(特にモア)に対するオマージュである。 (3) したがって、グリーンの回心物語を、作者としてのアイデンティティを形作るために用いた単なる文学的技巧であり、事実無根のフィクションだったと考えるのは誤りである。ピューリタン共同体の一員としてのアイデンティティを形作ろうとするグリーンの基本的な姿勢が、ナラティヴのいわば下部構造として機能していたのである。
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