江戸時代のキリシタン墓地を対象に、墓石を中心に考古学的調査を行った。その結果、キリスト教禁制によって墓石が変容する過程を、大分県南部地域と熊本県天草地域で行い、十字架文様や洗礼名が消失しても、1640年代から60年代までキリシタン特有の長方形伏碑を使い続け、寛文年間には方形に変容したうえで、元禄年間には戒名を刻む近世的墓石に変容する過程を後付けることができた。 これは1660年代まで豊後と天草では切支丹類族改め制度が確立するころにはキリスト教の信仰が途絶えたことを、墓地と墓石の研究から推定できた。これは潜伏キリシタンが明治時代まで存続した西九州とは異なる歴史があったことを示している。
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