近世期の日本では、様々な人物が自らの主張とともに訓法を展開している。同時期の琉球では、漢文訓読において使用する訓法が当初の文之点から別の訓法に交代している。それには、おそらく琉球において日本とは異なった学習システムがあったことや、日本には無かった科挙の存在の影響があったことは先行研究の指摘にあった通りである。近世後半には琉球に独自の訓法が存在していたと考えられるという点については、東アジアの訓読現象を論ずるうえで今後見逃せない。琉球も漢文訓読圏に加えることはもちろんのこと、日本の訓法に追従し続けていたわけではなく独自性があり得たことは、国語学的にもさらに考える必要がある 。
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