本研究の分析対象遺跡である広田遺跡は、特徴的かつ多様な貝製装飾品の研究や出土土器の研究を通じて、琉球列島の他の地域や九州との交流が指摘されている。本研究の分析対象である広田遺跡の下層期は、弥生時代終末から古墳時代に該当する時期である。種子島は律令期には「多禰国」として国に位置付けられ、南島や隼人対策、遣唐使の派遣等の政策をおこなううえでの重要な地域であった。本研究により、「多禰国」が成立する前段階の、種子島における他地域との交流を明らかとなり、中央集権国家の影響力が南西諸島にどのように拡大していったのかを知るうえで重要な知見が得られたと考えている。
|