仁淀川町池川地区で1955年から実施されてきた池川町民運動会について、「広報いけがわ」に見られる記事を分析した。旧池川町は「昭和の大合併」において高知県内の市町村で唯一合併できなかった自治体である。そのため町民の「融和」によって町勢の維持を図ろうとしており、「融和」の手段として運動会が始まっている。一方、合併を果たした旧西土佐村では、新しい村民たちの「融和」を実現するために1958年から村民運動会を実施した。ところが、両運動会とも実際には競技結果を巡って地域間の対立が生じ、主催者は競技種目や実施方法を工夫しすることで運動会による「融和」を実現しようとした。 高知新聞に掲載されていた1950年代から1960年代にかけての運動会の記事を収集し分析することで、高知県内では市町村の他に、職域や地域、市民団体などがさまざまな運動会を実施していたことが明らかになった。この時期、運動会は「融和」の手段として重要な社会的機能を有していたことがわかる。運動会に関する研究成果は論文にまとめて公表した。 高知県本山町上関地区の相撲大会は、江戸時代に始まる伝統的な奉納相撲である。二度の中断を経て、同地区の青年たちが昭和50年に「上関阿弥陀堂奉納相撲実行委員会jを結成して復活させている。寄付金を募って運営費をまかない、住民の奉仕作業で相撲場を整備して、今日まで大会を継続してきた。関係者の証言によれば、そのような活動の中で、若者たちは「先輩」と呼ばれる年長者に礼儀作法や社会性を学ぶとともに、地域の若者たちが大会の成功に向けて共同作業することで地域の一体性を認識し、地域社会の再生産が図られてきたことが明らかになった。本調査研究の成果は、地域のまちづくりを進めるにあたって、地域の共有財産とする必要性があると判断し、パンフレットに成果をまとめて、上関地区の全戸に配布する予定である。
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