研究課題/領域番号 |
21530786
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研究機関 | 宮城教育大学 |
研究代表者 |
吉村 敏之 宮城教育大学, 教育学研究科, 教授 (80261642)
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研究分担者 |
本間 明信 宮城教育大学, 教育学研究科, 教授 (70106748)
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キーワード | 学習指導法 / 授業研究 / 教材研究 / 現職教育 / 斎藤喜博 / 玉村小学校 / 瀬川頼太郎 / 雑誌『教育論叢』 |
研究概要 |
思潮や政策における軍国主義から民主主義への転換に左右されす、日本の小学校教師たちが教室において1930~50年代に一貫して創り続けた実践とその底にある原理について、次の点を解明した。 1.雑誌『教育論叢』において、学級の子どもの事実をふまえた学習指導法研究が進められた。 『教育論叢』誌の編集者、瀬川頼太郎が、1931年から「集団主義教育」を提唱した。方法として、社会集団の形成につながる、学級集団での文化の創造を目指す「組織的学習」を推進した。当時流行していた「新教育」の個人主義、自由主義、生活主義への批判であった。瀬川の主張に賛同した全国の教師たちが、子どもの学習の筋道に応じた法を創るべく、教材研究をめた。子ども個々のつまずきに応じた指導とともに、多様な思考を関連づけて学級集団で問題を組織し、追求する学習も重んじた。方法の創造にあたっては、学級の子どもの事実から出発した。算術の指導法では、20以下の数の概念を明確にすること、包含除から割り算の学習に入ることなど、合理的なものを、実践から見出した。子どものつまずきを学級集団での学習に組織とる方法は、1950年代にも継承される。 2.斎藤喜博の「授業」の思想と方法は、教育界の慣習や流行と異なる、独自性が強いものである。 斎藤が新任期を過ごした群馬県玉村小学校では、「学習法」実践が盛んに行われていた。しかし、「新教育」の思潮と方法とは距離を置き、斎藤は、自分の教室に籠って、学級の子ども全員に、文の読み書き、数の計算を習得させる指導に専念した。子ども一人ひとりのつまずきをとらえて、教材の本質にかかわる問題を学級全員で追求する学習を組織した。1950年代の島小学校の「授業の創造」につながる実践である。学級の子どもの事実に即して方法を創るは実践は、教師に高度の指導力が要る。教師独りではなく、集団の力が不可欠である。斎藤を中心した集団による長期の蓄積が可能にした。
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