1930年代日本の教師たちが、学級の事実に根ざして学習指導法を創る研究を進めた。瀬川頼太郎が編集した雑誌『教育論叢』によって、全国各地の教師が担任する子どもの事実を観察、記録して問題を発見し、解決にむけて方策を追求する研究が促された。教室の子どもの学習の質を高める研究は、戦時下でも持続され、1950年代の学校における授業研究へとつながった。教育政策の転換、教育界の流行、社会変動に左右されず、教師が教室の実践に専念して子どもの可能性を高める授業を追求することによって、教職の専門性が確立し、教職の社会的意義が示される。斎藤喜博を中心とした、群馬県玉村小学校と島小学校での実践は、教師が日々の授業を創ることで成長した事例である。教育が政治を超える例でもある。
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