拓跋鮮卑が5世紀初頭に建てた北魏王朝の制度や文化を明らかとするためには、その前史である五胡十六国時期の諸政権との関係を明らかにする必要がある。そこで本研究では、当時の主要副葬品目である陶俑に着目することとした。特に俑の制作技法や組合せ、服制などをもとに分類を試み、編年体系を確立することにつとめる。この作業を通して、五胡十六国から北魏が華北を統一するに至る過程を、考古学的に検証するのが本研究のねらいである。 22年度は寧夏回族自治区および内蒙古自治区において資料調査を実施した。寧夏回族自治区では、五胡十六国時期から北魏時期の過渡的様相を示す資料群を熟覧し、製作技法や俑の地域性と時代性に関する知見を得た。また内蒙古自治区では、北魏時期と考えられる画像資料や鉄製武器などを熟覧し、北魏が盛楽に都を置いた時期の文化について知見を深めた。 夏には九州国立博物館において特別展「馬 アジアを駆けた二千年」を開催した。ここでは、江蘇省、河南省、遼寧省、湖南省、山西省、山東省、陝西省、内蒙古から本研究とも関わる資料を展観し、研究成果の一部をひろく一般に公開した。年度末には2ヵ年に及んだ研究成果の主要部分をまとめるべく、論文「出土陶俑からみた五胡十六国と北魏政権」を執筆し投稿した。 研究の結果、五胡十六国時期の俑の変容が、〓水の戦いにおける前秦の敗北と華北の再動乱を契機としていると考えるに至った。この変容は、鼓吹騎馬俑の登場などを大きな特徴とし、〓水の戦い後における五胡諸族の自立機運の高まりを具体的に示す事象と判断した。そして北魏政権は、これら五胡十六国時期後半期の諸政権の文化や志向を受け継いでいると判断するに至った。
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