従来の日本語教育史研究の領域では、教科書や政策文書の分析が中心に行われてきたが、教育の受け手である学習者個々の経験は十分には取り上げられてこなかった。本研究では、解放後の韓国において日本語教育が再開された1960-70年代に日本語を学び始めた学習者のライフストーリーに着目し、旧宗主国のことばである日本語への葛藤と受容のプロセスを明らかにすることを目的とした。学習者の多くは、日本語を学んでいることを奇異の目で見られたり、「なぜ日本語なんかを勉強しているのか」という問いかけに遭うなどの経験をもち、日本語学習に対する後ろめたさを感じていた。また、教材や人材の不足という状況の中で、日本語への興味を失いかけていた学習者もいた。しかしながら、個々の学習者が日本語を学ぶことに対して独自の意味を見出していたことが、恵まれていない状況下での学習維持に繋がっていたということが明らかとなった。
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