研究課題/領域番号 |
21K00936
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研究機関 | 山形大学 |
研究代表者 |
山崎 彰 山形大学, 人文社会科学部, 教授 (30191258)
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研究期間 (年度) |
2021-04-01 – 2024-03-31
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キーワード | 近代村落学校制度 / ブランデンブルク / 領主 / 教員会議 |
研究実績の概要 |
本年度は、これまで研究テーマについて調査したことを概観し、これを2021年10月に論文「ブランデンブルク近代農村学校制度の形成」としてまとめ、『歴史評論』864号(2022年4月号)に寄稿した(招待論文)。この研究は、マルヴィッツ家の領地フリーデルスドルフでの、近代学校制度の形成過程を概観するものであった。内容は、以下のとおりである。 農民や牧師など関係者の支持のない中で、学校改革は1801年に領主マルヴィッツのリーダーシップによって開始された。学校改革に熱意のあった他の土地貴族、例えばロッホウやツィーテンなどと同様に、マルヴィッツも領主としての立場から教育改革を推進した。彼が現状維持を望む大勢の中で、将来を展望し改革に踏み切ったのは、領主としての責任意識からであり、またその権限を持ちえていたからであった。 しかし領主権にもとづく改革である限り、社会の深部にまで届くには限界があったことも、フリーデルスドルフの事例では明らかになった。結局、教職や学校行政の確立など、近代学校教育の方向性を明確に提示できたのは、マルヴィッツではなく、B.C.L.ナトルプらと教員たちであった。ブランデンブルク州の学校審議官に就任したナトルプは1810年代に、各地の聖職者の力を借りながら教員会議を開催しつつ、数多くの講習会を解説し、教員の補習教育を実施した。この運動が、一方で教員養成制度として結実し、他方では村落学校の整備へとつながっていったことを論証した。さらに教育改革は村落の農民たちが学校教育に対する認識を改め、それを肯定的に評価し、学校運営に参加することによりはじめて実現したことを明らかにした。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
『歴史評論』864号掲載の論文によって、これまで収集した史料にもとづき、フリーデルスドルフ領の学校改革の大まかな概観を明らかにすることができた。現在、入手済みの史料や文献を分析しながら、特に1810年代にブランデンブルク各地で創設された「教員会議」活動の全貌と、フリーデルスドルフ周辺の活動状況を調査し、これによってフリーデルスドルフの学校改革がいかなる影響を受けたのか、分析している最中である。特に、フリーデルスドルフの学校が属すフランクフルト学校管区の視学官のまとめた報告書を入手し、これによって学校改革の全体像の把握に努めている。 他に、2021年度にはドイツでの調査が不可能であったので、これ以外の方法で資料の入手を試みた。特に、これまでの検討で学校改革は、教員養成制度の整備と、教員の資格の整備があってはじめて発展できることが明らかになったので、現在ポツダム教員養成学校の教育課程や卒業生の赴任先などについての、未公刊史料の一層の入手の準備を進めている。
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今後の研究の推進方策 |
これまでフリーデルスドルフの学校制度の整備を、主に領主マルヴィッツの活動に最大の焦点を当てて、彼の改革方針と、領民のこれへの反応を中心に検討してきた。今後は、ナトルプの改革の影響を、主にフランクフルト学校管区の教員会議活動に焦点を当てて、分析を進める。特にこの学校管区では、3人の牧師がそれぞれの村の教会で教員会議を開催し、領地の境界を越えて教員を集めていたことがわかっている。彼らの活動と、また教員会議が主催した講習会の活動実態について、検討を進めたい。これにより教員会議の活動と、フリーデルスドルフ学校の改革への影響関係を分析してゆく。 また、学校改革にとって教員の養成制度の整備は決定的に重要であった。既に18世紀にはベルリンに教員養成学校が開設されていたが、研修生たちは都市学校の教員となる者がほとんどで、村の学校教師は、たいてい生家で父親から指導法を教授されていた。確かにブランデンブルクでは、18世紀末にレカーン領主のロッホウが、領内の学校教師と協力し、種々のセミナーを開催し、ここに教育関係者とともに、教員が参加した可能性はあるが、村落学校のための本格的な教員養成制度は不在であった。今後、特にポツダムの教員養成学校の設立過程と、教育内容、さらに卒業生の赴任先などを分析し、村落学校発展へのその影響関係を明らかにしてゆく予定である。このためには、枢密プロイセン文化財団文書館(ベルリン市)における史料調査が必要になる。その準備を今年度は進める。
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次年度使用額が生じた理由 |
2021年度はコロナウィルス流行により、国内での移動制限があった上、参加予定されていた学会がオンライン開催に変更され、旅費が必要なくなった。このため次年度使用額が生じたが、これについては2022年度には史料の入手などに当てる。
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