フーゴー・プロイスの法理論と政治・社会・歴史観察の連関を探り、彼の着想や世界観、論証構造の特徴を明らかにすることを目的とする本研究課題の遂行のため、初年度の本年度は、先行研究の状況の整理を行った。具体的には、ドイツおよび日本における蓄積を再検討し、プロイスが検討されてきた視角と関心の推移を考察した。 ドイツにおけるプロイス研究は、あえて時期を強調するならば、生前、逝去の直後、EU成立後にそれぞれ特徴のある蓄積が生まれたと評することができる。彼はついぞ通説的地位を獲得しなかったが、それでもしかし、異なる視角から多様な興味を惹いてきた。生前においては、一方で、ギールケに影響を受けた理論を携える、しかし現実政治にも関与する学者として、その問題関心とそれに基づく学説は通説側(たとえばラーバントなど)の注目も集めていた。他方、政治に関する評論が、ユダヤ人としての出自を理由として苛烈な批判を浴びることもあった(シュモラーによる書評)。逝去後は、もちろんワイマール共和国憲法の父としての立場に基づく関心もあったが、第二帝政期を通じて体制に批判的であった学者という点が注目を集め、その歴史叙述やドイツ国家の方針に関する政治的言論が扱われた。そしてEU成立から今に至るまでは、その連邦制論や多元主義論がよく論じられてきたことが注目に値する。関心と視角の推移は、プロイス理解にも資する知見を提供する。 他方、日本においては、ドイツ公法学説史が熱心に論じられてきたにも関わらず、プロイスはドイツ自治学説史の先行研究として、すなわち二次文献として引用されるのが主であった。論じられるとしても、ギールケ学派の一人としてであり、直接の主題として選ばれることはほぼない。このような状況が生まれたのはそれぞれの研究がどのような視角に立つからなのか、検討を行った。
|