本研究は身近な公共空間のなかから公園を取り上げ、その日中比較を通じて、公園のもつ文化装置としての側面を明らかにすることを目的としている。 日本において公園は、明治期の欧風化の一環としての側面を今なお強く備えている。公園の利用者は「利用者一般」と考えられがちで、公園自体も公共空地や緑地などの公共性の高い空間として位置づけられつつ、実際の利用は児童生徒の遊び場と想定される場合が多い。これは明治期の帝都東京を中心として、公園が排水地の環境改善のために設置されたり、小中学校の校庭を補うものとして設置されたりするなどの歴史を有するからである。 ところが中国では、公園概念が日本とは相当に異なっている。中国の公園は、日本の暮らしに慣れた者の目から見ると、すべてが体育施設のように見える。ただし、中国における体育概念は日本とは大きく異なる。1940年代初期の中国共産党の観念のなかには、体育と娯楽は一続きのものとして存在していた。すなわち、当時の共産党は解放区を拡げていくにあたって、鉄棒などのスポーツを人々に見せることで、この地域(多くは農村)がいかに開放的であるかをアピールした。見世物としてのスポーツが体育概念の中に埋め込まれているのである。これは現在にまで影響を与えており、文化大革命期に一切の伝統的な施設が廃された中、庭園も例外ではなく、風景鑑賞のための池がプールと同視され、現在も池内を一年中泳いでいるグループなどがあったりするのである。 以上のような公園の意味づけの変化は、たとえば高齢者の公園利用の相違となって表れる。中国では公園の主な利用者は定年後の高齢者であるが、日本では高齢者の公園利用はかなり限られる。このように公園の観念が実際の利用者を縛っているのであり、逆にいえば、公園とは、世界一律の近代施設と考えるべきではなく、社会的に改変が可能な文化的な存在であるということである。
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