最終年度の本年度は、国家とグローバルな展開がどのようにメッカ巡礼の動態に作用していたのかを巡礼者の目線から把握すべく努めた。これまでカザンとモスクワで収集したタタール語の巡礼記、人物伝、村史を分析すると、1860年代頃からイスラーム学者の重要な留学先がブハラから徐々にメッカ・メディナ、イスタンブルに移っていくパターンが読み取れる。その背景にはまず、ロシア帝国の交通網がグローバルなそれと結合し、巡礼が格段に容易になったことがある。そして、ロシア帝国自体が近代化する中で、その教育制度に十分に統合されていないムスリムが、オスマン帝国の西欧化した教育施設やカイロ、メッカ、メディナでのイスラーム諸学の新しい展開に、近代に適応する術を学ぼうとしたことがあった。これらの点は、25年度中に論文にまとめる予定である。 本研究は、帝政期のメッカ巡礼に焦点を絞ってきたが、巡礼は過去から現在まで持続的に繰り返される儀礼でもある。したがって、相互補完的な他の共同研究との兼ね合いで、帝政期の研究で得られた知見を活かしながら、ソ連時代と現在のロシア連邦にまで研究の射程を広げた。7月に行われたスラブ研究センターの夏期国際シンポジウムでは、現代ロシアのメッカ巡礼について報告した。11月には北米のスラブ学会(ASEEES)で、Revolutions across Imperial Borders: Diplomacy and Local Politics in the Early Twentieth Century というパネルを組織した。そこでは、1920-30年代のソ連による紅海への進出という文脈で、メッカ巡礼の政治的・経済的な意義について考察する報告を行なった。日本語では、帝政末期から現代にかけてのロシアのメッカ巡礼を概観する論考も執筆することができ、25年度に出版予定である。
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