本年度の目標はピエトロ・ベンボの『俗語論』Proseに見られる《規範》の成立過程の全貌を微視的に追跡することであり、そのためにまず資料の整備に多くの時間と予算を費やした。具体的には『俗語論』のテキストに関して、初版Tacuino版(1525)、Marcolini版(1538)、決定版とされるTorrentino版(1549)、そして手稿Vaticano Latino 3210のマイクロフィルムを入手して、これらをデジタル化し、レイヤーを使って章番号を付した上、これらに基いて4つの段階がフォントの色分けにより示される文字情報版のテキストを作製した。完成したのは第3巻のみであるが、他の巻についても順次作業を続ける予定である。 また、当初の研究計画には含まれていなかった『俗語論』第3巻の翻訳に着手した。これはイタリア語を解さない人の用に供するものではなく、テキストが、その内容の複雑さに加えて叙述の極端な錯綜ぶりを特徴とすることが判明し、正確な解釈のためには何らかの形でより平易で分かりやすい文章表現に改める必要が痛感されたがゆえに行なうものである。叙述が錯綜していると言っても、ベンボの思惟が混乱しているわけではさらさらなく、ひとつには当時このような内容をイタリア語で書き記す伝統が未だ確立していなかったこと、そしていまひとつには著者がまさに当該作品で主張しているようにボッカッチョ風の文体にこだわったために生じた現象であり、翻訳によって解釈は飛躍的に正確なものとなる。わが国における後の研究のためにも非常に有益である。 さらに本年度の研究成果として、イタリア詩の韻律に関する著書(共著)を刊行したことも挙げておきたい。これは必ずしもアカデミックな研究成果の範疇に入るものではないが、イタリア語を母語としない人間を明確に意識しており、わが国においては前例のないイタリア語の詩作法を解説する書物であるだけに、その執筆に当たっては本研究によって得られた知見が間接的に大きな役割を果たしている。
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