1. 山田家および周辺村々の調査 近世後期から明治初期にいたるまでの北信濃(中野市周辺)における地域社会構造とその変容、地域支配・運営のあり方について、山田家を軸に理解するための一つの切り口として、堤防組合惣代の活動に注目し、洪水に頻繁に見舞われたこの地域にあって地主である山田家が惣代としてどのように活動したのかを検討した。まだ史料の整理、分析の途中で十分な結論を得られていないが、慶応期から明治初年にかけて行われた千曲川治水工事は、幕府・新政府から多大な出費を引き出すための様々な工作を必要としたし、地域内では様々な利害対立を乗り越える必要があった。このような状況下で地主山田家が惣代として、どのように対処したのかを明らかにして、近世から近代への移行過程の地域社会の変容をとらえることができると考えている。なお、山田家側から分析していくと地主の視点に偏るため、山田家の小作地がひろがる周辺村々の史料調査も同時に進めている。 2. 中之条陣屋元村の調査 上記山田家は中野代官所の支配に属したが、本研究では同じ幕領で程近い中之条代官所の陣屋元に残されている史料を検討し、比較研究を試みている。ここに残されている史料で特に注目されるのが、他所へ転勤した代官手代と村役人の間で頻繁に書状のやりとりが行われていることである。この書状を分析することで、俳句・狂歌等を通じて行われた身分を越えての文化的交流の実態や、代官支配の実像等が浮かび上がってくると考えられる。この書状も幕末から明治期にかけて残されているので近世・近代移行期の様相を知る材料となる。
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