アフリカにおけるイギリスによる植民地行政は、現地の多様な諸制度や社会文化的慣行に対しておこなった一貫しないアンビヴァレントな折衝を通じて独自の植民地的現実を生成し、それは今日のアフリカ諸社会の文化的・社会的状況にも深い影響を残している。本研究の目的は、ケニア海岸部を中心に植民地行政官の残した資料を、長期のフィールドワークに基づく人類学的知見から読み直すことを通して、これを検証することにある。 平成22年度においては、ケニア諸地方での人類学者の手による民族誌のなかに散見される植民地行政に関する記述を抽出する作業を進める傍ら、夏期に約3週間のケニア・ナイロビ滞在を行った。一日を調査許可受領とナイロビ大学歴史学教授(植民地史を専門とする)マモロ教授との打ち合わせに費やした他に、国立公文書館において主として旧クワレ・ディストリクト、旧キリフィ・ディストリクトにおける20世紀初頭から1960年代初めまでの植民地行政官による年次報告書の閲覧、データ収集を行った。現在はコピーした資料のPCへの逐次入力を行っている。 海岸地方における植民地行政官たちが直面した開発上の問題が、各年代でいかなる形をとり、どのような言葉で語られてきたか、その概要が明らかになりつつある。予想に反し、妖術問題は植民地行政の初期に最大の問題とされていたにもかかわらず、その後は1950年代に至るまで、少なくとも年次報告からは姿を消しもっぱら飲酒問題、母系相続などが開発の障碍として常時取り上げられていることがわかった。次年度以降に、海岸地方以外の地域の資料と比較することで興味ある結果が得られるのではないかと期待される。
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