アフリカにおけるイギリスによる植民地行政は、現地の多様な諸制度や社会文化的慣行に対しておこなった一貫しないアンビヴァレントな折衝を通じて独自の植民地的現実を生成し、それは今日のアフリカ諸社会の文化的・社会的状況にも深い影響を残している。本研究の目的は、ケニア海岸部を中心に植疑地行政官の残した資料を、長期のフィールドワークに基づく人類学的知見から読み直すことを通して、これを検証することにある。 23年度においては、22年度の調査研究により、行政官の報告書などにおいて大きな問題系を形成していたことが判明したドゥルマ社会における開発の障碍としての「母系相続問題」に焦点を当てた資料調査を行った。ナイロビの国立公文書館における植民地行政官が残した報告資料からこの問題に関する言説を抽出するとともに、クワレディストリクト、キナンゴのディストリクトオフィスに残された現地人法廷の裁判記録のなかに関係する資料を探索した。 公文書館の資料からは、一人の行政官の民族誌的」調査報告における結論が、伝言ゲームのようにその後の行政官によって継承されるにつれ、次第に重要性を高めていく経緯が見て取れた。一方、現地における資料収集は期待したほどの成果を上げてはいない。土地の人々によると母系から父系へと相続システムを変えることになった大きな出来事だったと語られる1960年代初めに起きた相続裁判の記録は、23年度の短期の調査では見出すことはできなかった。しかし当時を知る2人の長老からの聞き取りによりその出来事のおおまかな経緯は把握できた「母系相続の弊害」についての行政官の吾り口が、当の土地の長老からそのままの形で再現されていることに気づき、行政の語りがいかに文化の語りとして変換・浸透していくかに関する貴重なヒントが得られた。
|