アフリカにおけるイギリスによる植民地行政は、現地の多様な諸制度や社会文化的慣行に対しておこなった一貫しないアンビヴァレントな折衝を通じて独自の植民地的現実を生成し、それは今日のアフリカ諸社会の文化的・社会的状況にも深い影響を残している。本研究の目的は、ケニア海岸部を中心に植民地行政官の残した資料を、長期のフィールドワークに基づく人類学的知見から読み直すことを通して、これを検証することにある。22年度より、植民地統治下の海岸地方旧クワレ・ディストリクトにおいて、行政資料から検証できる行政が現地の文化制度に対して行った対応について、妖術信仰と親族制度の二つの側面について調査してきた。 24年度は、23年度に引き続き、ドゥルマ社会における「母系相続問題」をめぐる行政の態度の推移、現地のリーダーシップにおける世代対立を軸に調査した。ナイロビの公文書館での資料収集に加え、昨年に引き続き、現地の長老からの聞き取りにより知った、母系相続から父系相続への地すべり的な変化のきっかけとなった60年代の裁判の記録を、現地のディストリクト・オフィス、チーフのオフィスに残された記録資料のなかに見出す作業に注力した。しかし、多くの資料がすでに散逸しており、再び見出すにはいたらなかった。 一方、20年代から60年代初めにいたる行政資料の中には、植民地行政官の間でも母系相続のすみやかな廃止を推す立場と、変化に慎重さを求める立場が区別でき、この二つの立場は、現地の人々の間における、キリスト教化された若いリーダー層と伝統的長老(間接統治の仕組みの中で大きな権力を付与されていた)との対立と緊密に連動していることが示唆された。新興リーダーの一人で、母系相続廃止に向けて重要な役割を演じた人物についての確認もできた。
|