本研究では、従来の教育指導行政についての上意下達的なイメージを、学校現場の教職員と教育行政専門職が、双方向的なやりとりの中で、地域の教育活動を充実・発展させるものへと転換させることを目指し、教育委員会制度草創期の地方教育行政史料(主に富山県の史料)収集を行いながら、教育長や指導主事に期待された役割や実際の活動の検証を行った。その結果、戦後初期における教育指導行政は、地域の教育を計画的に創造し、なおかつ、発展させる教育活動そのものであったといえる。ただし、任意設置の教育委員会の下では、当時要請されていた教育委員会の職務として、学校の設置と教員の確保に追われ、教育計画づくりに十分に力を注げていない実態が浮かび上がってきた。つまり、素人統制システムの早期導入よりも、むしろ、教育委員会の設置には踏み切らず、自治体の教育行政ビジョンをどのように描くかに重点を置いた、専門職の活動が「教育の地方自治」構築の土台となっていたのである。こうした専門職の活動は、サーバント・リーダーシップの概念を用いて説明できるだろう。このほか、いくつかの町村では、教育行政(教育計画策定)の単位として一つの自治体では狭小であることを挙げており、広域行政の必要性・重要性を喚起している。こうした教育行政の単位についても、教育委員会制度に関する当時からの課題として検討していかなければならない。
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