2022年度は西田幾多郎の認識論および初期田辺の認識論を扱い、その哲学的・哲学史的意義とフッサールとの関係を解明した。 (1)1920年代の西田・田辺の認識論を扱い、両者のフッサール現象学の受容と改鋳を解明した。本研究では、西田の『自覚における直観と反省』(1917年)から『一般者の自覚的体系』(1929年)、田辺の「普遍について」(1917年)から「明証の所在」(1928年)の現象学的認識論を解明した。また、これらの初期認識論を正確に理解するために、西田・田辺の著作全体の通読を行なった。その過程で、研究代表者のこれまでの研究内容との接続によって以下の二つの成果を得ることが出来た。 (1-A)西田・田辺は1930年から道徳と宗教の関係について激しい論争を行なっているが、本研究はその対立構造がすでに初期から1920年代の思索にあることを発見した。この構造を精緻に解明して、日本哲学に関する研究会で発表を行なった。 (1-B)西田・田辺の鍵概念である「即」について、両者が明確に異なる定義を行なっていることを見出した。この点について解明して、Asian Philosophical Textsの学会大会(於イギリス・エディンバラ大学)にて発表する予定であったが、研究代表者が渡航直前にコロナウィルスに感染したために2022年度内の発表を延期した。この発表内容は同学会の2023年度の大会(於神田外国語大学)で発表した。 (2)上記(1)で解明した西田・田辺の認識論における〈主観性の超克〉の哲学的・哲学史的意義を解明した。特に初期の西田・田辺が言及するカント・リッケルト・フッサールのテキストを読解し、両者の認識論と突き合わせた。
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