「古式の形」の水流及び虚倒、「五の形」の一本目に関する小谷澄之と大滝忠夫の方法と、富木謙治の同じ技についての指導内容とを当身技に対処する観点から比較し以下の解釈を得た。(1)嘉納が柔道に希求した護身性は、水流における受の手首を「目の高さに挙げる」方法の中にあると理解されること。(2)虚倒での取の受への体の接触に続く移動による崩しに柔術タイプの当身技が見られること。(3)「五の形」の一本目にも虚倒と同質の当身技の方法があること。(4)「精力善用国民体育」に見られる空手式の当身技は柔術の当身技と基本構造と異なると思われること。 以上から当身技を含めた柔道乱取り法の実現可能性が示唆された。
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